桐生懇話会
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桐生倶楽部の前身にあたり、運輸・通信・電力などの面で、桐生の近代化を推進した組織が桐生懇話会である。四十銀行の総支配人であった秋田宗四郎は、頭取・森宗作、専務・大沢福太郎に、銀行業務の発展のため、有力者を集めた会員組織の団体を結成することを提案した。買次商の書上文左衛門を発起人に加え、1900年(明治33年)に桐生懇話会が結成された。 大正期に入ると、大正デモクラシーの影響によったものか、1915年(大正4年)の懇話会例会で、大衆的な倶楽部組織に変更することを決定し、桐生懇話会は1918年(大正7年)に発展的に解散し、社団法人桐生倶楽部として再発足した。
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