松生院
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| 松生院 | |
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| 所在地 | 和歌山県和歌山市片岡町1-4 | 
| 位置 | 北緯34度13分27.5秒 東経135度10分28.7秒 / 北緯34.224306度 東経135.174639度座標: 北緯34度13分27.5秒 東経135度10分28.7秒 / 北緯34.224306度 東経135.174639度 | 
| 山号 | 向陽山 | 
| 宗派 | 真言宗系単立 | 
| 創建年 | 承和9年(842年) | 
| 開基 | 智證大師円珍 | 
| 札所等 | 和歌山西国三十三箇所13番 | 
| 法人番号 |  3170005000430  | 
   
松生院(しょうじょういん)は、和歌山県和歌山市にある真言宗の単立寺院。山号は向陽山。和歌山西国三十三箇所13番。
歴史
- 承和9年(842年)、智證大師円珍の開基で創建する。
 - 貞観7年(865年)、清和天皇の勅願寺となる。
 - 文治元年(1185年)、屋島の戦いの兵火で本堂を残し焼失する。
 - 乾元元年(1302年)、紀州和歌浦芦辺(現在の和歌浦羅漢寺付近)に移転する。
 - 天正年間(1573年-1592年)、兵乱を避け山東荘黒岩村に移転する。
 - 慶長13年(1608年)、現在地に移転する。
 - 慶長18年(1613年)頃、宝光寺(廃寺)から本堂を移築する。 
   
- 初代紀州藩主徳川頼宣の帰依を受け毘沙門天像、山門等の寄進があり紀州藩の護邦殿となる。
 
 - 明治37年(1904年)、本堂が古社寺保存法に基づき特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定される。
 - 昭和20年(1945年)、和歌山空襲で、本堂、山門と円珍作の不動明王像などを焼失する。
 - 平成8年(1996年)、本堂、山門を再建する。
 
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戦災で焼失した旧国宝
- 松生院(旧宝光寺)本堂
 
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参考文献
- 太田博太郎『日本の建築』筑摩書房
 
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関連項目
外部リンク
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