松平信正 (大河内松平家)とは? わかりやすく解説

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松平信正 (大河内松平家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/12 19:53 UTC 版)

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松平信正
時代 江戸時代中期
生誕 寛延元年10月13日(1748年11月3日)
死没 明和5年7月22日(1768年9月2日))
改名 辰五郎→信正
戒名 槐窓院殿了夢知覚居士
墓所 埼玉県新座市野火止の平林寺
氏族 大河内松平家
父母 父:松平信復、母:蘭(側室 岸田氏、国香院)
兄弟 某、信礼、某、信正本庄道揚、壬次、遠藤胤富
振(池田政香室)、悦(鍋島直益室)、元(大久保教和養女)

松平 信正(まつだいら のぶまさ)は、遠江浜松藩第2代藩主・三河吉田藩初代藩主・松平信復の四男。

生涯

寛延元年(1748年)10月13日、松平信復の四男(ただし長男と三男は早世しているため次男として扱われる)として江戸で生まれる。宝暦7年(1757年)10月1日、叔父中川久貞の屋敷に招かれを見物した。明和3年(1766年)12月、従兄弟にあたる美濃高富藩主・本庄道信の急養子にという話が持ち上がるが、道信と同年齢であったことが障害となり、結局弟の音次郎(道揚)が本庄家に養子に入ることで決着した。

明和5年(1768年)7月22日に谷中下屋敷で死去した。享年21。父信復は国元の吉田に在城中であったが、この訃報にショックを受けたこともあってか体調を崩し、約2か月後の9月19日に死去している。

参考文献

  • 『豊橋市史』第6巻
  • 『豊橋市史史料叢書 吉田藩江戸日記』



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