村田三郎_(流山鉄道)とは? わかりやすく解説

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村田三郎 (流山鉄道)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 13:30 UTC 版)

村田 三郎(むらた さぶろう、1888年5月16日 - 1968年以降没)は福岡県出身の実業家[1]。田中鉱山の社員を経て流山鉄道の社長及び会長を務めた。義兄に中大路氏道

来歴

福岡県、後の小倉市で1888年(明治21年)5月16日に村田政之助の三男として生まれる[1]。1914年(大正3年)に東京高等商業学校(後の一橋大学)を卒業すると、東京市京橋区北紺屋町(中央区八重洲)の田中本店[注釈 1]に入社した。三郎は千澤専助の四女・経子を妻とし、義父の千澤が1896年(明治29年)に創設した下谷銀行[2]及び東洋貯蓄銀行の取締役にも1920年(大正9年)就任している。社長・田中長兵衛のもと最盛期には国内鉄需要の過半数を生産した釜石製鉄所にも不景気の波が押し寄せ、1920年3月には戦後恐慌が発生。経済界は長い低迷期に入った。1924年(大正13年)3月、多額の負債を抱え田中家の事業がついに破綻。釜石の鉱山や製鉄所が三井鉱山に移譲され、三井のもとで釜石鉱山株式会社が設立された。三郎は改組後の釜石鉱山でも社員として勤めている[3]

1926年(大正15年)5月、義兄の中大路氏道と千澤平三郎[注釈 2]が千葉県流山町の町民鉄道、流山鉄道の取締役に就任。同時に三郎も監査役に就いた[4]。中大路は翌1927年(昭和2年)5月、同社社長に就任[5]。一方三郎は1932年(昭和7年)大正興業[注釈 3]の社長職に就く。その後1936年(昭和11年)1月には中大路の後任として流山鉄道株式会社の取締役社長に選任される[7]。1952年(昭和27年)1月、同社の会長に就任。三郎は流山の社長及び会長職を計23年超務めた。趣味は俳句、同人会員で「山朗」と號す。

家族・親族

  • 村田豁達 - 長男、1919年(大正8年)2月生まれ。明治学院大学経済学部を卒業し流山鉄道の取締役を務めた。妻の素代子(1925年生)は白百合高等女学校を卒業。弁理士・鴛淵説男[注釈 4]の娘。
  • 咲子 - 二女、1923年(大正12年)3月生まれ。香蘭高等女学校を卒業し、東京テアトル支配人の三橋保(1921年生)[13][注釈 6]に嫁ぐ。
  • 輝子 - 三女、1926年(大正15年)2月生まれ。香蘭高等女学校を卒業し、バレー研究家の中野博に嫁いだ[1]
  • 美津子 - 姉、1885年(明治18年)生まれ。
  • 千澤専助 - 義父、1857年(安政4年)生まれ。千澤房泰の長男。1882年(明治15年)に名を重次郎から改め専助とする。家業の米穀商を継ぎ、下谷銀行を設立し頭取に就任。東京市会議員も務めた[15]。妻は釜石鉱山田中製鉄所を創設した田中長兵衛の長女・うた(1861年生)。
  • 千沢平三郎 - 義兄、1869年(明治元年12月)生まれ。大阪の観世流能師・橋岡家の生まれ[16][注釈 7]であり、1895年に千澤専助の長女・正(まさ、1878年生)と結婚し婿養子となった。東洋貯蓄銀行取締役、大日本炭鉱常務取締役[18]。1933年(昭和8年)に家督を相続、子が無かったため1936年に甥の千葉楨治を養嫡子に迎えた[19]
  • 中大路氏道 - 義兄、1872年(明治5年)9月生まれ。田中長兵衛のもとで釜石製鉄所第2代所長を務めたほか、三陸汽船及び流山鉄道の社長などを歴任した。妻は千澤専助の二女・清(1883年生)。
  • 千葉直五郎 - 義兄、1888年(明治21年)2月生まれ。明治期の煙草製造販売業で大きな財を成し「たばこ三べえ」の一人として世に知られた千葉松兵衛[注釈 8]の長男であり、1926年(大正15年)に家督を継いだ。池貝鉄工所監査役[21]。妻は千澤専助の三女・長(1891年生)。

脚注

注釈

  1. ^ 田中本店は釜石鉱山田中製鉄所の経営で知られた田中長兵衛の東京本店。1917年に田中鉱山株式会社へと改組された。三郎の妻となった経子は二代目長兵衛の姪にあたる。
  2. ^ 千澤平三郎の妻・正は千澤専助の長女であり、平三郎は婿養子として千澤家に入った。中大路氏道の妻は千澤専助の二女・清。
  3. ^ 村田の義兄・千澤平三郎が社長を務めていた大正鉱業を継承し、日本窒素肥料工業の代理店として(老舗小間物店よし屋の記録によれば1933年7月に)設立された。1941年に解散し日扇興業が発足するも、翌年日窯産業に合併される[6]
  4. ^ 鴛淵説男(1886-1960年)は旧松浦藩士の家系で長崎県小値賀村出身。東京帝大工学部の電気工学科(1910年卒)をはじめ同帝大法律学科(1914年卒)、さらに経済学科(1921年卒)も出て弁理士及び弁護士資格を取得、複数の会社経営にも携わった[8][9]
  5. ^ 柔道四段。1940年(昭和15年)2月に宮崎神宮西神苑で行われた全日本東西対抗柔道試合の東代表に選抜される[10]。翌年早稲田大学英法科を卒業し、三本木高校で教職に就いた[11]
  6. ^ 山叶證券社長及び東京テアトル顧問、関東レース倶楽部(よみうりランド)取締役などを歴任した三橋幸三(1893年生)[14]の長男。
  7. ^ 興信録によれば大阪府の岡儀助または岡ゑんの長男。下谷銀行の支配人を務める傍ら、1902年(明治35年)に茨城県の高萩炭鉱を買い鉱主となる。顔が広く太っ腹として知られ、野口遵が日本窒素を設立する際にも資金を融通している[17]。第二次大戦終戦後まもなく鬼籍に入った。
  8. ^ 三べえとは村井吉兵衛岩谷松平、千葉松兵衛の三人。後の銀座一丁目で刻み煙草等の小売商・松葉屋を営む父の下に生まれた松兵衛は、外国産全盛の時代に国産巻き煙草の製造をはじめ、屋号を千葉商店とし"牡丹"や"菊世界"の銘柄で広く人気を博した。千葉勝は松兵衛の伯父に当たる[20]

出典

  1. ^ a b c 人事興信所 編『人事興信録』(第24版 下)、1968年、む之部 44頁。NDLJP:3044858/1017 
  2. ^ 『銀行総覧 (財政金融史料集成:第3集)』(第23回)コンパニオン出版、1985年9月、24頁。NDLJP:11979161/43 
  3. ^ 『大衆人事録』(第5版 タ-ワ之部)帝国秘密探偵社、1932年、ム之部 22頁。NDLJP:1688500/522 
  4. ^ 大蔵省印刷局 編『官報』第4223号、525頁、1926年9月20日。NDLJP:2956373/13 
  5. ^ 大蔵省印刷局 編『官報』第167号、528頁、1927年7月20日。NDLJP:2956627/10 
  6. ^ 知切光歳『よし町よしや』「よし町よしや」刊行会、1971年、408頁。NDLJP:11954800/219 
  7. ^ 『総武流山電鉄七十年史』総武流山電鉄、1986年3月、224頁。NDLJP:11950418/119 
  8. ^ 日本弁理士会広報センター会誌編集部 編『パテント』13 (6)(118)、日本弁理士会、1960年6月、40頁。NDLJP:3274440/21 
  9. ^ 『一業倶楽部会員列伝』 第1編、13(6)(118)、一業倶楽部、1933年、25頁。NDLJP:1030014/23 
  10. ^ 老松信一『柔道百年』時事通信社、1966年、312頁。NDLJP:2511139/173 
  11. ^ 『会員名簿』(昭和40年度版)早稲田大学校友会、1966年、299頁。NDLJP:11622692/520 
  12. ^ 『人事興信録』(第19版 下)人事興信所、1957年、む22頁。NDLJP:3022520/505 
  13. ^ 『大衆人事録』(第25版 東日本編)帝国秘密探偵社、1966年、1061頁。NDLJP:3044847/527 
  14. ^ 『人事興信録』(第23版 下)人事興信所、1966年、み35頁。NDLJP:3044976/869 
  15. ^ 『人事興信録』(初版)人事興信所、1903年、ち之部 235頁。NDLJP:12986218/165 
  16. ^ 山野好恭、岡田緑風 編『京浜炭界一百人』帝国新報編輯所、1913年、73頁。NDLJP:950679/57 
  17. ^ 知切光歳『よし町よしや』「よし町よしや」刊行会、1971年、378頁。NDLJP:11954800/204 
  18. ^ 『全国銀行会社事業成績調査録』帝国経済通信社、1921年、311頁。NDLJP:946093/191 
  19. ^ 『人事興信録』(5版)人事興信所、1918年、ち之部 4頁。NDLJP:1704046/313 
  20. ^ 佐瀬得三『当代の傑物』実業之日本社、1906年9月、304頁。NDLJP:778434/172 
  21. ^ 『日本人事名鑑』(昭和9年版 下卷)聯合通信社、1933年、チ之部 3頁。NDLJP:1688665/238 



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