李東寧_(1905年生)とは? わかりやすく解説

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李東寧 (1905年生)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 15:36 UTC 版)

李 東寧(イ・ドンヨン、イ・ドンニョン、朝鮮語: 이동영/이동녕1905年1月21日 - 1992年2月22日[1]または12月22日[2])は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国実業家政治家慈善家。鳳鳴グループ創業者・名誉会長、第4・6・7代韓国国会議員[1]

本貫牛峰李氏朝鮮語版瑞峰[3]。実業家の李世茂・李秉茂、実業家で元国会議員李昇茂朝鮮語版は息子[2]

経歴

慶尚北道聞慶郡出身。漢学修学を経て[3]、聞慶公立普通学校卒。日本統治時代に聞慶郡庁・慶尚北道庁勤務を経て[3]、1942年より聞慶炭鉱総務部長を務め、解放後は鳳鳴黒鉛工業所を設立・経営したことにより韓国有数の鉱業家となった。その後は同昌実業株式会社社長、聞慶女子中学校設立財団理事長、韓国貿易協会常任理事、韓国生産性本部理事、慶尚北道体育会会長、聞慶郡体育会会長、民主共和党慶北第18地区党委員長・慶北道支部委員長、嶺南大学校財団理事長、聞慶学院・嶺南学院設立者を務めた。また、成均館大学校の経営を引き受け、理事長に就任した時期もある[1][4][2][5]

1992年12月22日、持病によりソウル大病院で死去。享年88[2]

賞勲

教育界への貢献により、1981年に国民勲章冬柏章を受章[2]

脚注

  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年6月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e 李東寧(이동녕) 鳳鳴(봉명)명예회장”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1992年12月23日). 2025年6月21日閲覧。
  3. ^ a b c 문경문화원, 근현대인물사 제1집 ‘애향인 서봉 이동녕’ 발간”. 경북일보 (2021年12月19日). 2025年6月21日閲覧。
  4. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年6月21日閲覧。
  5. ^ 성균관대학교 | 대학정보 | 성대역사 / 상징 | 성대역사 | 성대발자취” (朝鮮語). www.skku.edu. 2025年6月21日閲覧。



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