李旻とは? わかりやすく解説

李旻Li Min

リビン

(?~190
潁川太守

初平元年一九〇)正月董卓打倒義兵が起こると、予州刺史孔伷もこれに呼応したが、彼はまもなく没し長沙太守孫堅が代わって刺史となった。李旻は潁川太守として孫堅付き従って進出したが、ここで董卓部将徐栄遭遇戦となり、生け捕りにされて董卓のもとに送られた《破伝・後漢書董卓伝》。このとき張安という者も捕虜となっており、董卓は李旻と張安を畢圭苑の中に連れてきて煮殺すことにした。二人は鼎を前にして「同じ日に生まれことはなかったが、同じ日に煮られることになったな」と語り合い、そして生きたまま煮られた《後漢書董卓集解》。

参照孔伷 / 徐栄 / 孫堅 / 張安 / 董卓 / 潁川郡 / 長沙郡 / 畢圭苑 / 予州 / 県 / 刺史 / 太守


李旻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 09:09 UTC 版)

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李 旻(り びん、? - 190年)は、中国後漢末期の官吏。

略歴

潁川太守であった。董卓打倒の挙兵に参加した。梁の戦いで董卓配下の徐栄孫堅を打ち破った際に捕虜となった。『太平御覧』巻645に引く『英雄記』によれば、洛陽の董卓軍駐屯地である畢圭苑に張安なる人物とともに連行され、煮殺された。鼎に入るに臨んで、張安と「生まれた日は違えども、同じ日に煮られるのだ」と言い合ったという。




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