本城安次郎とは? わかりやすく解説

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本城安次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/05 10:07 UTC 版)

本城 安次郎(ほんじょう やすじろう、1860年3月4日(万延元年2月12日[1])- 1901年明治34年)11月5日[2][3][4][注釈 1])は、明治期の実業家政治家衆議院議員

経歴

石見国那賀郡、のちの島根県那賀郡周布村[1][2][4](現浜田市)で、建築業・本城新輔の息子として生まれた[1]。大阪開明学校を卒業し[1]、上京して攻玉塾で学び[1]、1878年(明治11年)ころ工部大学校に入学したが[1][2][3][4]、病のため1879年(明治12年)秋に退学した[1]

健康が回復すると神戸で紙類廃売店を開業し[1]、また、貿易店を営み[1]日清戦争時には軍需物品を扱い[1]大阪に本城商会を設けて遼東台湾へも事業を拡張した[1]。その他、神戸樟脳取引所理事、大阪浪速商品取引所創立委員長、神戸商業会議所議員などを務めた[1][2][3][4]。また日本赤十字社名誉会員となった[2][3][4]

政界では、神戸市会議員、兵庫県会議員を務めた[1][2][3][4]。1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(兵庫県第1区、自由党)で初当選し[5]、次の第6回総選挙でも再選され[5]、最後は立憲政友会に所属して、衆議院議員に連続2期在任した[3][4]。議員在任中の1901年11月に死去した[6]

国政選挙歴

脚注

注釈

  1. ^ 『官報』(第5505号、明治34年11月7日)では11月3日。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 「本城安治郎氏」『兵庫県代議士候補人物公評録』2-4頁。
  2. ^ a b c d e f 『兵庫県人物事典 中巻』96頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』576頁。
  4. ^ a b c d e f g 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』404頁。
  5. ^ a b c d e 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』72頁。
  6. ^ 『官報』第5505号、明治34年11月7日。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』10頁。

参考文献

  • 藤井公平他『兵庫県代議士候補人物公評録』大東社、1898年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『兵庫県人物事典 中巻』のじぎく文庫、1967年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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