木村重太郎とは? わかりやすく解説

木村重太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/07 00:00 UTC 版)

木村 重太郎
基本情報
国籍 日本
出身地 熊本県
生年月日 (1968-05-12) 1968年5月12日(56歳)
身長
体重
174 cm
69 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本
五輪 1996年
オリンピック
野球
1996 男子

木村 重太郎(きむら じゅうたろう、1968年5月12日 - )は、熊本県宇土市出身の野球選手投手)。

1996年アトランタオリンピック野球日本代表

経歴

鶴城中学から熊本工に進む。3年夏には選手権大会に出場。1回戦の対横浜商戦では二番手として登板し、勝利に貢献。2回戦の対広島工戦でも二番手として投げたが、0対1で惜敗。

高校3年次に鹿屋体育大学を受験したが不合格だったため、1987年社会人野球東芝に入った[1]。チームでの競争は厳しく、優勝した1991年の都市対抗では同学年の杉山賢人がエースとして活躍している。東芝が出場を逃した1993年の都市対抗には、川尻哲郎とともにいすゞ自動車の補強選手として参加した。

1996年にはアトランタ五輪代表に選ばれ、チーム唯一のサイドスロー投手だったこともあり登板数はチーム最多タイの6試合に登板。予選リーグの対アメリカ戦では1回途中で降板した三澤興一の後を受けるも、トロイ・グロースらに3連続本塁打を浴び、1死も取れずに降板してチームもコールド負けを喫する。続く対ニカラグア戦では二番手として3回1/3を投げ、2失点で勝利投手となりチームの連敗を3で止めた。決勝の対キューバ戦では2回途中から杉浦正則に代わって登板し、ルイス・ウラシアに2ランを浴びながらも3回1/3で7三振を奪い自責点2の内容だった。

現役引退後は東芝で社業を続けつつ、野球教室の講師を務めることもあるという[2]

脚注

関連項目

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