木村光佑 (サッカー選手)とは? わかりやすく解説

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木村光佑 (サッカー選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/14 02:56 UTC 版)

木村 光佑
名前
愛称 Koz、Kimura-san
カタカナ キムラ コウスケ
ラテン文字 KIMURA Kosuke
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1984-05-14) 1984年5月14日(40歳)
出身地 兵庫県神戸市
身長 175cm
体重 70kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

木村 光佑(きむら こうすけ、1984年5月14日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロサッカー選手、コーチ。ポジションはディフェンダー(サイドバック)

メジャーリーグサッカー(以下MLS)初の日本人選手[1]

来歴

2007年1月のMLSサプリメンタルドラフトで日本人プレーヤーとして初めてコロラド・ラピッズに全体の35番目で指名され、同年3月に正式契約の28人枠に生き残り、日本人初のMLSプレーヤーとなった。

2007年シーズンも終わりに近づいた9月22日のレアル・ソルトレイク戦で右サイドバックとして90分間プレーし、1年目にしてトップデビューを果たす。10月7日のトロントFC戦でも同ポジションでフル出場。試合後、地元テレビ局の選ぶMVPに選ばれる。最終的に4試合に出場しその全試合で90分プレーし、2008年度も引き続きコロラドでのプレーが決まった。

2008年シーズンは18試合に出場しうち17試合が先発で計1438分プレーし、チームの主軸となった。

2009年5月2日、第7節レアル・ソルトレイク戦において自身プロ初ゴールを決めMLS史上初となる日本人選手による得点を記録した[2]。このシーズンは26試合に出場しうち21試合で先発、1932分プレーし2ゴール2アシストを記録した。

2010年も開幕時からレギュラーポジションを確保。シーズン中盤に疲労骨折もあったが、回復後もレギュラーポジションを維持して23試合に出場し21試合で先発。計1,931分プレーし3アシストを記録。 日本人として初めてプレーオフに進出すると、チームはワイルドカードから勝ち上がり、サンノゼ・アースクエイクスとのイースタン・カンファレンス・チャンピオンシップ決定戦では決勝点を記録、MVPを獲得すると同時にチームをMLSカップ進出に導いた[3]

迎えたMLSカップにも先発フル出場、延長戦の末にFCダラスを破り全米制覇を達成。日本人として初めてMLSカップを獲得した。2010年のプレーオフでは4試合に出場、先発した。

2011年はレギュラーシーズン34試合に全試合先発で出場して2,996分プレーし、1ゴール1アシストを記録した。ポストシーズンではワイルドカードプレーオフで決勝点に繋がるアシストを記録し、チームのカンファレンスセミファイナル進出に貢献したが、その第一戦の前半で相手のタックルを受け左足を骨折し、チームもセミファイナルで敗退してシーズンを終えた。

2012年シーズンも開幕から17試合で12試合に先発出場し987分プレイして1ゴール2アシストを上げるなど結果も残したが、前年まで木村を重用したゲーリー・スミス前監督に代わってこの年から監督に就任したオスカル・パレハの構想から外れ、ベンチを外れることも多くなり、シーズン途中の7月にMLSのポートランド・ティンバーズに移籍した[4]。移籍先のポートランドでもすぐにレギュラーポジションを掴んで17試合に出場しうち16試合が先発で1376分プレーし1ゴール1アシストを記録した。

2012年シーズン中から次の移籍先を探し、米国外のクラブからのオファーもあった中、2012年12月、MLSのニューヨーク・レッドブルズへの移籍を決定した[5]。2013年シーズンは24試合に出場しうち15試合で先発、1575分プレーし2アシストを記録した。チームもレギュラーシーズンに優勝し、日本人として初めてサポーターズシールドを獲得したが、MLSカップではクォーターファイナルで敗れ、木村の出場機会もなかった。

2014年シーズンもニューヨークに残留し、13試合に出場し10試合で先発、884分出場し3アシストを記録した。

2015年、ポーランド2部リーグのヴィジェフ・ウッチに移籍。

2015年、NASL北米サッカーリーグ)のアトランタ・シルバーバックスへ移籍。

2016年、同リーグのラーヨOKCへ移籍、主力として活躍するもクラブは1年で解散。

2017年、USLプロフェッショナルリーグのタルサ・ラフネックスFCに移籍。

2018年、同リーグのナッシュビルSCに移籍。

2019年12月でナッシュビルSCを退団[6]

2020年、ナッシュビルSCU-13のヘッドコーチに就任。

2022年、ナッシュビルSCのアシスタントコーチに就任。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
アメリカ リーグ戦 リーグ杯 USオープン杯 期間通算
2007 コロラド・ラピッズ 27 MLS 4 0 4 0
2008 18 0 18 0
2009 26 2 1 0 27 2
2010 23 0 4 1 1 0 28 1
2011 34 1 1 0 35 1
2012 12 1 2 0 14 1
ポートランド・ティンバース 15 17 1 17 1
2013 ニューヨーク・レッドブルズ 27 24 0
通算 アメリカ MLS 158 5 5 1 4 0 167 6
総通算 158 5 5 1 4 0 167 6

脚注

  1. ^ サッカー選手(コロラド・ラピッズ) 木村光佑さん”. 2023年1月8日閲覧。
  2. ^ [1]
  3. ^ unlikely-goal-good-enough-rapids”. 2010年11月14日閲覧。
  4. ^ Timbers acquire D Kimura from Rapids” (英語). Yahoo! Sports (2012年7月5日). 2012年7月12日閲覧。
  5. ^ NYレッドブルズが木村光佑を獲得”. Qoly.jp (2012年12月4日). 2012年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月4日閲覧。
  6. ^ Kosuke Kimura”. 2020年3月2日閲覧。

関連項目

外部リンク




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