朝比奈切通の開削
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/13 16:48 UTC 版)
中世六浦道の開削は『吾妻鏡』の記事が度々言及されるが、近世初期の開削について具体的に記された資料は今まで知られていなかった。本書によれば、浄養向入なる人物が道を平坦に均したといい、没年の延宝3年(1675年)の紀年銘のある墓が坂上の石地蔵として残っているという。そのような石地蔵は今のところ発見されていないが、発見されれば本書の信憑性を裏付けるものとなるであろうと推測されている。
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