普門寺 (加須市)とは? わかりやすく解説

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普門寺 (加須市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/09 05:18 UTC 版)

普門寺
所在地 埼玉県加須市南篠崎942
位置 北緯36度07分10.2秒 東経139度37分56.5秒 / 北緯36.119500度 東経139.632361度 / 36.119500; 139.632361座標: 北緯36度07分10.2秒 東経139度37分56.5秒 / 北緯36.119500度 東経139.632361度 / 36.119500; 139.632361
山号 星光山
院号 慈眼院
宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来
創建年 不詳
中興年 永正12年(1515年
中興 栄鑁
文化財 普門寺の青石塔婆(加須市指定有形文化財)
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普門寺(ふもんじ)は、埼玉県加須市にある真言宗智山派寺院

歴史

創建年代は不明である。ただ1515年永正12年)に栄鑁が中興していることから、それ以前から存在していたものと推測される[1]

かつては末寺45か寺を擁する大寺院であったが、1853年嘉永6年)と1877年明治10年)の火災により、仁王門以外の堂宇を失っている[1][2]

境内には、「富永金太郎の墓」がある。金太郎は1300旗本の出身で、当地は旗本富永家の所領であった。金太郎が長じたときは既に明治になっており、秩禄処分家禄を失ったため、金太郎は群馬県警察部警察官となった。1883年(明治16年)6月9日群馬県碓氷郡入山村(現・群馬県安中市松井田町入山)において、金太郎は賊の反撃に遭い殉職した。金太郎殉職の報を受け、旧所領の領民だった当地の住民は金太郎の遺髪を貰い受け、墓に葬ることになった。金太郎の実家の旗本富永家は善政を敷いていたことから、地域住民は維新後も富永家に対する恩義を感じていた。世が世なら「我らの殿様」だった金太郎の壮絶な最期を受け、富永家の恩義に報いようとしたのである[2]

文化財

  • 普門寺の青石塔婆(加須市指定有形文化財 昭和31年4月16日指定)[3]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 埼玉県佛教会 監修『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』千秋社、2001年、396p
  2. ^ a b 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年、62-63p
  3. ^ 加須地域指定文化財一覧加須市

参考文献

  • 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年
  • 埼玉県佛教会 監修『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』千秋社、2001年



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