明阿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/20 02:44 UTC 版)
明阿(みょうあ、生没年不詳)は南北朝時代の女性、尼僧。実名は不明。足利氏の執事を務める高氏の出身で、観応の擾乱で一族の大半が滅ぶと、その菩提を弔うため、総持寺(愛知県岡崎市)建立に奔走しその開基となった[1]。
- ^ ただし、総持寺所伝によれば、同寺は建保2年(1214年)、本間重光創建、皇女利慶徳善大比丘尼開基という。「岡崎市史」はこれを信用できないとしている。
- ^ 『園太暦』観応2年2月27日条。
- ^ 「岡崎市史」は師泰が殺害される前日に明阿の行く末を心配して譲り渡したのではないかとしている。
- ^ 総持寺文書「足利尊氏袖判尼明阿置文」文和4年8月23日。同書状では、総持寺にて一族の菩提とともに足利家のための祈祷も行うと述べている。
- ^ 総持寺文書「足利尊氏書状」文和4年9月晦日、同「足利義詮書状」文和4年10月7日。
- ^ 総持寺文書「仁木義長宛足利義詮御判御教書」観応2年11月2日。
- ^ 総持寺文書「高師秀去状」文和4年10月8日。
- ^ 総持寺文書「足利尊氏袖判置文」。
- ^ 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、101頁、1219頁頁。
- 1 明阿とは
- 2 明阿の概要
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