日輪寺 (日立市)とは? わかりやすく解説

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日輪寺 (日立市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/30 01:49 UTC 版)

日輪寺
所在地 茨城県日立市森山町3-15-36
位置 北緯36度31分16.4秒 東経140度36分56.3秒 / 北緯36.521222度 東経140.615639度 / 36.521222; 140.615639座標: 北緯36度31分16.4秒 東経140度36分56.3秒 / 北緯36.521222度 東経140.615639度 / 36.521222; 140.615639
山号 来迎山
院号 宝珠院
宗派 真言宗豊山派
本尊 阿弥陀如来
創建年 大同年間(806年 - 810年
開山 弘法大師空海
中興年 応永2年(1395年
中興 尊秀
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日輪寺(にちりんじ)は、茨城県日立市にある真言宗豊山派寺院

歴史

大同年間(806年 - 810年)、弘法大師空海によって開山された。空海は当地を巡錫したおり、ある夢を見た。その夢とは、阿弥陀三尊来迎し、宝珠を授けるというものであった。空海が目を覚ますと、太平洋の大海原から日輪太陽)が上がっていた。空海はただちに阿弥陀如来像を彫り、庵に安置した。これが当寺の起源である。「来迎山宝珠院日輪寺」の名称は空海の逸話に由来する[1][2]

1395年応永2年)、尊秀によって中興された。1689年元禄2年)、これまで現在の常陸多賀駅のあたりに位置していたが、水戸藩藩主徳川光圀によって、現在地に移転した[1][2]

1864年元治元年)、天狗党の乱による戦火で、山門を除いて焼失した。かつては当地で一番の寺院であったが、明治大正期は民家の廃材を組んだ庵の状態であった。昭和になり漸く復興し始め、1940年(昭和15年)に本堂が再建した[1]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、82-85p
  2. ^ a b 日輪寺 粕谷隆宣師真言宗豊山派仏教青年会

参考文献

  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年



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