日本残酷物語 (映画)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/11 12:14 UTC 版)
『日本残酷物語』(にほんざんこくものがたり[1])は1963年に公開された日本の記録映画。配給は新東宝興業。
概要
アイヌの熊まつり、麻薬、原子爆弾、美容整形手術、げてもの料理、日本のミイラ(即身仏)、ゲイバーなど[2]日本の奇習や現代の世相、社会病理などを取り上げている。制作の柴田万三は、暴力団、ドヤ街を入れたかったが、諸般の事情で難しかったと書いている[3]。
なお、サリドマイド児の映像化に対して、警察から児童福祉法違反の嫌疑がかかり、公開直前、自主的にそのシーンをカットしたという[4]。
平凡社から刊行された『日本残酷物語』(1959-1961年)と直接の関係はない。
スタッフ
参考文献
- 柴田プロダクション『写真でみる日本残酷物語』現代芸術社、1963年[5] - 映画を書籍化した内容となっている。
脚注
- ^ 外部リンクのKINENOTEを参照。
- ^ 滝沢一・山根貞男編『映画監督中川信夫』(リブロポート、1987年)pp.252-253。
- ^ 『写真でみる日本残酷物語』pp.158-159。
- ^ 高橋誠一郎『回想九十年』(筑摩書房、1973年)p.305。児童福祉法の禁止行為(現行条文第34条第1号「身体に障害又は形態上の異常がある児童を公衆の観覧に供する行為」)に該当するのではないかという意見があった。高橋は経済学者で当時、映倫の委員長を務めていた。
- ^ 国立国会図書館デジタルライブラリー[1](ログイン必要)。
関連項目
外部リンク
- 日本残酷物語_(映画)のページへのリンク