播磨の国一揆とは? わかりやすく解説

播磨の国一揆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/06 14:12 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

播磨の国一揆(はりまのくにいっき)は、室町時代1429年正長2年)2月、前年の正長の土一揆の影響を受けて起こった、政治的要求に基づく一揆である。播磨の土一揆(はりまのつちいっき)とも。

播磨国兵庫県南西部)守護赤松満祐の配下の軍兵の国外退去、荘園代官の排除を要求して蜂起するが、赤松満祐に鎮圧される。国一揆の始まりとも言われる。

中山定親の『薩戒記』に記述がある。

或る人曰く播磨国の土民旧冬の京辺の如く蜂起し、国中の侍悉く攻むるの間、諸庄園代、加之守護方軍兵彼等の為に、或ひは命を失ひ、或ひは追ひ落とさる。一国の騒動希代の法なりと云々。凡そ土民、侍をして国中にあらしむべからざる所と云々。乱世の至なり。よりて赤松入道発向し了んぬ者
『薩戒記』

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「播磨の国一揆」の関連用語

播磨の国一揆のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



播磨の国一揆のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの播磨の国一揆 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS