手児奈霊神堂とは? わかりやすく解説

手児奈霊神堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/26 07:55 UTC 版)

手児奈霊神堂
所在地 千葉県市川市真間4-5-21
位置 北緯35度44分18.1秒 東経139度54分33.3秒 / 北緯35.738361度 東経139.909250度 / 35.738361; 139.909250座標: 北緯35度44分18.1秒 東経139度54分33.3秒 / 北緯35.738361度 東経139.909250度 / 35.738361; 139.909250
宗旨 日蓮宗
創建年 737年
別称 手児奈霊堂
公式サイト 手児奈霊堂公式サイト
テンプレートを表示
広重「名所江戸百景」より「真間の紅葉手古那の社つぎ橋[1]
1912(明治45)年頃の手児奈霊神堂

手児奈霊神堂(てこなれいじんどう)は、千葉県市川市真間に所在する、伝説上の女性手児奈を祀る霊堂である。手児奈霊堂とも称される。

縁起

今から[いつから?]1300年ほど前、真間の井(亀井院)に水を汲みに行く一人の女性がいた。名前は手児奈。身なりはそまつだったが、とても美しいと評された。多くの男性から結婚を求められたが、「私の心はいくつでも分けることはできます。でも、私の体は一つしかありません。もし、私が誰かのお嫁さんになれば、ほかの人を不幸にしてしまいます。」となやみ、海に行く(当時は真間山の下は海だった)。そのころ、日没になろうとしていた。「そうだ、あの太陽のように。」と思って海に身投げしてしまった。これを悲しんだ人たちは、手児奈霊神堂を建てて祀った。

文化財

所在地

  • 千葉県市川市真間4-5-21

和歌

  • 古に 在りけむ人の しつはたの 帯解き交へて 伏屋立て 妻問しけむ 葛飾の 真間の手兒名が 奥津城を こことは聞けど 真木の葉や 茂くあるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも吾は 忘らえなくに (万葉集 巻の四・431) 山部赤人
  • 葛飾の 真間の井見れば 立ち平し 水汲ましけむ  手児奈し思ほふ(万葉集 巻の九・1808)高橋虫麻呂
    • {訳}葛飾の真間の井を見れば、水を汲む手児奈を思い出す。

脚注

  1. ^ 「真間の紅葉の名所・弘法寺から、手古那の社と継橋を望む」の意。継橋(つぎはし)は『万葉集』にも歌われる「真間の継橋」のことで、霊神堂南西方に現存する。なお、この構図は南を望んでいるはずなので、実際には遠方に山(筑波山?)は見えない。

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「手児奈霊神堂」の関連用語

手児奈霊神堂のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



手児奈霊神堂のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの手児奈霊神堂 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS