戸田忠久
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/16 04:17 UTC 版)
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| 時代 | 江戸時代中期 | 
| 生誕 | 宝永5年(1708年) | 
| 死没 | 享保13年8月8日(1728年9月11日) | 
| 別名 | 彦六(通称) | 
| 藩 | 下野宇都宮藩世嗣 | 
| 氏族 | 戸田氏 | 
| 父母 | 戸田忠真 | 
| 兄弟 | 忠久、松平忠喬正室、松平正貞正室ら | 
| 妻 | 本多忠直娘 | 
戸田 忠久(とだ ただひさ)は、江戸時代中期の下野国宇都宮藩の世嗣。通称は彦六。
略歴
父が58歳の時の子で、既に従兄弟の忠余が嫡子となっていたため、忠余の養子となる。享保3年(1718年)、8代将軍・徳川吉宗に初御目見したが、享保13年(1728年)に早世した。代わって、忠余の次男・忠盈が嫡子となった。
固有名詞の分類
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