懐信可汗とマニ教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 03:09 UTC 版)
回鶻可汗国内において、第4代可汗の武義成功可汗(在位:779年 - 789年)以来迫害を受けてきたマニ教であったが、懐信可汗の代でふたたび受容されることとなった。そのことはトルファン出土のウイグル文書U1に「803年の羊年にウイグルのブクク汗(懐信可汗)が高昌にまでやって来て、マニ教東方大司教区のトップである慕闍(モジャク)に会い、マニ教団第三位の高僧であるマヒスタクを3人もモンゴリアに設置することを相談した」とあることによってわかる。
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