愛弟子の法嗣 湊素堂(建仁寺派管長)の談
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「竹田益州」の記事における「愛弟子の法嗣 湊素堂(建仁寺派管長)の談」の解説
師匠について次の様にのべられています。堅田の一休禅師縁の名刹大徳寺派・祥瑞寺住職となられた。しかしその翌年の春、境内掃除の後の不始末から伽藍を全部焼失。懺悔の生活が老師を再び建仁僧堂へと再行脚せしめたのである。しかし僧堂での明け暮れは殊の外厳しく、黙雷老師から徹底的に嫌われて、老師の身辺に近寄せてもらえなかったそうである。・・・途中略・・その黙雷老師が末期の病床に呼んで、「よう辛抱した、亡き後は後任古渡庵老師をよく補佐してもらいたい・・・」とおっしゃった。その時は流れ落ちる涙がとまらなかったそうである。
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