恋の痛手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/11 14:58 UTC 版)
| 「恋の痛手」 | ||||
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| ジーン・ピットニー の シングル | ||||
| 初出アルバム『恋の痛手』 | ||||
| B面 | 恋のジューク・ボックス | |||
| リリース | ||||
| 規格 | 7 inch single | |||
| 録音 | 1962年(アルバム『Only love can break a heart』収録) | |||
| ジャンル | ポップス | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | ムジコール・レコード | |||
| 作詞・作曲 | バート・バカラック、ハル・デヴィッド | |||
| プロデュース | ウォリー・ゴールド, アーロン・シュローダー | |||
| ゴールドディスク | ||||
| ゴールドディスク | ||||
| チャート最高順位 | ||||
| ビルボード2位 | ||||
| ジーン・ピットニー シングル 年表 | ||||
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「恋の痛手」 (Only Love Can Break a Heart) は、ジーン・ピットニーが1962年に発表した楽曲。全米2位を記録。作詞作曲はバート・バカラックとハル・デヴィッド。
解説
バート・バカラックとハル・デヴィッドのコンビは「恋の痛手」(1962)をジーン・ピットニー用に作曲したもののピットニーの反応はいまひとつで,カントリーを思わせる曲調にやや違和感をもっており,むしろB面の「恋のジューク・ボックス(If I Didn't Have a Dime (To Play the Jukebox))」に魅力を感じ、DJたちにもB面のオンエアーを希望していたようだ。[1]仕方なく録音したピットニーだったが結果は全米第2位を記録する大ヒットとなり、B面の「恋のジューク・ボックス」も全米58位を記録し両面ヒットとなった。皮肉にもその時第1位を記録したクリスタルズ「He's a rebel」はジーン・ピットニーの作品だった。
1967年にはマーガレット・ホワイティング盤が全米96位、1977年にはボビー・ヴィントン盤が全米99位を記録した。
ジーン・ピットニーは「True love never runs smooth」(1963)、「星影のベティ」(1963)、「フール・キラー」(1967)などバカラックの作品を数多く録音するが「恋の痛手」が最大のヒットであった。「愛の痛手」を邦題とする資料も存在する。日本ではAB面を逆にして発売され「恋のジューク・ボックス」がヒットした。
主要なカヴァー
- マーガレット・ホワイティング - (1967年)
- ボビー・ヴィントン - (1977年)
- ディオンヌ・ワーウィック - (1977年)
- ソニー・ジェイムス - (1972年)カントリー・チャート第2位
- ケニー・デール - (1979年)カントリー・チャート第9位
出典
- ^ Bacharach; maestro!the life of a pop genius, by Michael Brocken, Chrome Dreams, c2003,p. 114, ISBN 1-84240-219-6
- ^ Top pop album tracks, 1955-1992, by Joel Whitburn, Record Research, c1993, p.326, ISBN 0-89820-094-6
- ^ Top Country Singles; 1944-1996, by Joel Whitburn, Record Research, c1997, p.515, ISBN 0-89820-100-4
| 先代 フランク・アイフィールド 「アイ・リメンバー・ユー」 |
Billboard Middle-Road Singles 1位 1962年10月27日 - 11月3日(2週) |
次代 ブレンダ・リー 「オール・アローン・アム・アイ」 |
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