御厨社古墳とは? わかりやすく解説

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御厨社古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/28 00:39 UTC 版)

御厨社古墳

墳丘・石室開口部
別名 福沢古墳群小野沢支群1号墳
所属 福沢古墳群(小野沢支群)
所在地 長野県埴科郡坂城町上平1581-2
位置 北緯36度26分47.00秒 東経138度9分53.80秒 / 北緯36.4463889度 東経138.1649444度 / 36.4463889; 138.1649444座標: 北緯36度26分47.00秒 東経138度9分53.80秒 / 北緯36.4463889度 東経138.1649444度 / 36.4463889; 138.1649444
形状 円墳
規模 直径13-15m
高さ4m
埋葬施設 片袖式横穴式石室
出土品 玉類
築造時期 6世紀後半
史跡 坂城町指定史跡「御厨社古墳」
地図
御厨社古墳
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御厨社古墳(みくりやしゃこふん、福沢古墳群小野沢支群1号墳)は、長野県埴科郡坂城町上平(うわだいら)にある古墳。形状は円墳。福沢古墳群(うち小野沢支群)を構成する古墳の1つ。坂城町指定史跡に指定されている。

概要

長野県東部、小野沢段丘北東端に築造された古墳である。南東には村上御厨神社が所在する。これまでに発掘調査は実施されていない。

墳形は元々は円形と推定されるが、現存墳丘は楕円形で長軸約15メートル・短軸約13メートル、高さ4メートルを測る[1]。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。石室全長11.2メートルを測る大型石室であり、千曲川水系では最大級の規模になる。盗掘に遭っているため副葬品の大部分は失われているが、石室内からは碧玉製勾玉・瑪瑙製勾玉・滑石製勾玉・水晶製切子玉・耳環が採集されている[1]。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[1]

古墳域は1981年昭和56年)に坂城町指定史跡に指定された。現在では個人敷地内で保存されている。

埋葬施設

石室俯瞰図
左から右に、羨道・玄室。
石室展開図

埋葬施設は片袖式横穴式石室で、南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:11.2メートル
  • 玄室:長さ8.2メートル、幅2.3メートル、高さ2.5メートル
  • 羨道:長さ3メートル、幅1.3メートル

玄室の奥壁・側壁は大きな平石を小口積みしたのち、小石を持ち送り構築されており、床面の幅2.3メートルに対して天井部の幅は平均1.4メートルに狭まる[1]。天井石は7枚で、玄門には梁1本が通る[1]

石室内からは、清掃の際に碧玉製勾玉1・瑪瑙製勾玉3・滑石製勾玉1・水晶製切子玉1・耳環(金鍍金)1が採集されている[1]

文化財

坂城町指定文化財

  • 史跡
    • 御厨社古墳 - 1981年(昭和56年)7月9日指定[2][1]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h 御厨屋社古墳 (PDF) (坂城町ホームページ)。
  2. ^ 御厨社古墳(公益財団法人 八十二文化財団)。

参考文献

  • 史跡説明板(坂城町教育委員会、1982年設置)

外部リンク




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