彦名村とは? わかりやすく解説

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彦名村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 03:27 UTC 版)

ひこなそん
彦名村
廃止日 1954年6月1日
廃止理由 編入合併
彦名村崎津村大篠津村和田村富益村夜見村巌村成実村 → 米子市
現在の自治体 米子市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
西伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,222
国勢調査、1950年)
隣接自治体 米子市、夜見村、富益村、崎津村
彦名村役場
所在地 鳥取県西伯郡彦名村
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彦名村(ひこなそん[1])は、鳥取県西伯郡にあった。現在の米子市の一部にあたる。

地理

弓ヶ浜半島中央部の内浜に位置し、南は中海に面していた[2]

歴史

  • 1877年(明治10年)会見郡粟島村、下粟島村、後藤村が合併して彦名村が成立[2]
  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、会見郡彦名村が単独で村制施行し、彦名村が発足[1][2]。大字は編成せず[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]
  • 1910年(明治43年)富益村、夜見村と連合耕地整理組合を設立し綿麦作地を水田化した[2]
  • 1928年(昭和3年)郵便取扱所開設[2]。1939年(昭和14年)彦名郵便局となる[2]
  • 1954年(昭和29年)6月1日、米子市に編入され廃止[1][2]。編入後、米子市彦名町となる[2]

地名の由来

粟島神社に祀られている少彦名命にちなむ[2]

産業

  • 農業、漁業[2]
  • 産物:米、葉煙草[2]

教育

  • 1873年(明治6年)粟島小学校開校[3]。1874年(明治7年)後藤小学校開校[4]。1884年(明治17年)粟島小学校、後藤小学校が合併し、後藤村に彦名小学校を開校[2]。1887年(明治20年)彦名尋常小学校に改称[2]。1904年(明治37年)校舎を新築し移転[2]。その後、高等科を併置し彦名尋常高等小学校に改称[2]。1908年(明治41年)高等科を廃止[2]。1932年(昭和7年)高等科女子部、1938年(昭和13年)高等科男子部を併置[2]。1941年(昭和16年)彦名国民学校に改称[2]。1947年(昭和22年)彦名小学校に改称[2]
  • 1905年(明治38年)農業補習学校開設[2]

名所・旧跡

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』660頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』639頁。
  3. ^ 「粟島村〈米子市〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』86頁。
  4. ^ 「後藤村〈米子市〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』342頁。

参考文献

関連項目




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