庄内村 (鳥取県)とは? わかりやすく解説

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庄内村 (鳥取県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/10 01:58 UTC 版)

しょうないそん
庄内村
廃止日 1954年4月1日
廃止理由 新設合併
御来屋町庄内村名和村光徳村名和町
現在の自治体 大山町
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
西伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,270
国勢調査、1950年)
隣接自治体 御来屋町、名和村、大山村所子村
庄内村役場
所在地 鳥取県西伯郡庄内村大字富長
座標 北緯35度28分30秒 東経133度28分45秒 / 北緯35.47492度 東経133.47903度 / 35.47492; 133.47903 (庄内村)座標: 北緯35度28分30秒 東経133度28分45秒 / 北緯35.47492度 東経133.47903度 / 35.47492; 133.47903 (庄内村)
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庄内村(しょうないそん[1][2])は、鳥取県西伯郡にあった。現在の西伯郡大山町の一部にあたる。

地理

歴史

  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、汗入郡富長村、大塚村、古御堂村、押平村、茶畑村、高田村が合併して村制施行し、庄内村が発足[1][2]。旧村名を継承した富長、大塚、古御堂、押平、茶畑、高田の6大字を編成[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]
  • 1954年(昭和29年)4月1日、西伯郡御来屋町、名和村、光徳村と合併し名和町を新設して廃止された[1][2]。合併後、名和町大字富長・大塚・古御堂・押平・茶畑・高田となる[2]

地名の由来

この地方を古くから庄内と称したことによる[2]

産業

  • 農業[2]
  • 産物:米、麦、繭、瓦、履物[2]

教育

  • 1892年(明治25年)庄内小学校開校[5]。1897年(明治30年)大字古御堂に統合新校舎完成[5]

陸軍施設

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』393頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』413頁。
  3. ^ a b c 「富長〈名和町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』538-539頁。
  4. ^ 「高田〈名和町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』461頁。
  5. ^ a b c d 「古御堂〈名和町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』350頁。

参考文献

関連項目




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