広告界 (雑誌)とは? わかりやすく解説

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広告界 (雑誌)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 06:04 UTC 版)

第6巻第5号の表紙

広告界(廣告界。こうこくかい)とは、1926年から1941年にかけて、誠文堂(現・誠文堂新光社)が刊行していた、広告関係の雑誌。日本における広告関連雑誌の草分け的存在である。

「広告と陳列」という表題であった雑誌を改題して創刊。創刊時期については、1920年(大正9年)4月、1926年(大正15年)3月、1925年(大正14年)、1928年(昭和3年)1月などとする文献がある。改題の時期と、出版社の変更(もともとタブセ商会で創刊し、その後、商店界社→誠文堂商店界社→誠文堂広告界社→誠文堂→誠文堂新光社と転々としている[1]。なお「商店界社」以降は単なる社名変更の可能性も高い)の時期とがあいまって、以上のような複数の創刊時期が示されている。(それぞれの時期については、下記外部サイトを参照)最初の一年間は商業美術家協会と協力関係にあったが、その後関係を解消している。

終刊は1941年12月(18巻12号)とされているが、「雑誌年鑑(昭和17年版)」によると、1941年10月で廃刊されたことになっているそうで、ここにも混乱が見られる。内容は、広告界の話題・動向の紹介、広告技術や広告実例の紹介、研究者・企業広告担当者による評論などである。

創刊から1935年4月まで室田庫造(むろた・くらぞう。室田久良三)が編集長、その後は終刊まで宮山峻が第2代編集長であった。

戦後、1953年に宮山が新たに『アイデア』を創刊した。

  • 室田庫造について

初代編集長であった室田庫造は、編集者であるとともに、広告デザイナー(グラフィックデザイナー)としての活動も行った。次の文献に掲載されている第二次世界大戦前の写真では、室田庫造によるものと推測される作品(大阪そごう百貨店中二階の喫茶パーラーの壁に掲示された作品)が、中山岩太の作品の隣に掲げられている。

同じ図版を次の論文(書籍)でも見ることができる。

  • 写真壁画の時代――パリ万国博とニューヨーク万国博国際館日本部を中心に・川畑直道(「帝国」と美術 1930年代日本の対外美術戦略、五十殿利治・編、国書刊行会、2010年に収録)

さらに、次の雑誌でも同じ写真図版を見ることができる。

  • フォトタイムス1936年7月号53ページ(「オリエンタル写真会社制作」として紹介)

以下のページは参考ページである。

書籍

  • 近代広告の誕生 ポスターがニューメディアだった頃(竹内幸絵、青土社、2011年)

脚注

  1. ^ 広告界 shuppan.jp/bukai 竹内幸絵講師による記事 2024年1月13日閲覧

関連項目

外部サイト



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