幸田延
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幸田 延(こうだ のぶ、1870年(明治3年)4月19日(旧暦3月19日[1]) - 1946年(昭和21年)6月14日[1])は、日本のピアニスト、ヴァイオリニスト、音楽教育家、作曲家。
- ^ a b c d e f g h i コトバンク. 幸田延.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 幸田 延 生涯と功績
- ^ a b c d e f g h i j k l m 作曲家の墓・世界恩人巡礼大写真館 - 作曲家コーナー 日本人編
- ^ 萩谷 2003, pp. 41–44, 268–269.
- ^ 萩谷 2003, pp. 61–65, 69–75, 269–270.
- ^ 萩谷 2003, pp. 83–89, 271.
- ^ 平高 2014, p. 193, §3. 留学までの教師たち.
- ^ 萩谷 2003, pp. 89–91, 271–272.
- ^ 平高 2014, pp. 200–201, §9. 音楽関係者たち.
- ^ Friederike Singer (b. 1853)
- ^ 萩谷 2003, pp. 91–94, 272–273.
- ^ 平高 2018, p. 2, §1. 和声学・対位法の学修.
- ^ a b c 池辺晋一郎が校訂・補筆した全音版 (幸田 2009) はニ短調のソナタについて「帰国の1897年に発表した」としているが、幸田の談話「せんだツて学友会に出しましたソナタ……あれは稽古中に、あツちで作つたもの」(青柳有美「幸田女史西楽談」『女学雑誌』 452号、女学雑誌社、1897年、27頁。)より、実際にこのときの学友会演奏会で発表された作品は変ホ長調のソナタと推定されている (平高 2018, pp. 2–9, §2. 作曲(発表)年代が判明している作品)。
- ^ 2019年(令和元年)11月5日に東京・銀座の「王子ホール」で行われた「日本・オーストリア修好150年記念演奏会」で、ヴァイオリニスト・前田朋子により補筆版が演奏された。
- ^ 萩谷 2003, pp. 161–165, 273–274.
- ^ “滝 廉太郎”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月8日閲覧。
- ^ “三浦 環”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月8日閲覧。
- ^ “本居 長世”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月8日閲覧。
- ^ “萩原英一”. コトバンク. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2020年1月8日閲覧。
- ^ 萩谷 2003, pp. 178–180, 275–276.
- ^ “山本 直忠”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月8日閲覧。
- ^ 萩谷 2003, pp. 183–186, 206–215, 276.
- ^ 萩谷 2003, pp. 224, 279.
- ^ 萩谷 2003, pp. 244–249, 280.
- ^ ラジオ深夜便「明治洋楽事始め~瀧廉太郎と幸田延」(2014年4月25日~26日放送)で遠藤ふき子キャスター(平沼高校出身)のインタビューに答えた萩谷由喜子氏の説
- ^ “週刊新潮連載コラム「ブルーアイランド氏のクラシック漂流記」の作者青島広志氏の疑問について、永森邦雄氏(50期)による回答文”. 2016年6月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 平高 2018, pp. 2–9, §2. 作曲(発表)年代が判明している作品.
- ^ a b c d 平高 2018, pp. 10–11, §3. 作曲(発表)年代不明の作品.
- ^ a b 幸田 2009.
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