平清綱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/14 18:36 UTC 版)
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時代 | 平安時代末期-鎌倉時代初期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 九郎[1] |
官位 | 左衛門少尉 |
父母 | 父:平貞清 |
子 | 平維綱 |
平 清綱(たいら の きよつな)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。桑名、富津二郎、鷲尾、鷲尾二郎を称す。丹波国住
経歴
もと美濃国の在地領主で、のち上洛し滝口武者となった[2]。治承・寿永の乱を経て、頼朝の御家人に列した[2]。文治3年(1187年4月[1])国衙の下知に背き、年貢を対捍したとして頼朝より下文を下された[2]。建久9年(1198年)左衛門少尉と見える[2]。
脚注
参考文献
- 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年。ISBN 4404013027。
- 阿部猛『日本古代人名辞典』東京堂出版、2009年。 ISBN 4490107617。
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