市田盛常の罷免
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 05:06 UTC 版)
堤氏と入れ替わるように斉宣が鹿児島に帰国した文化5年(1808年)の2月5日、市田盛常は突如家老を罷免させられ鹿児島への帰国を命じられる。2月14日には盛常嫡男・市田義宜も小姓組頭を免職となり、市田一族は鹿児島藩政から追放された。盛常のその後の消息は不明である。
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