山田忠次とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 山田忠次の意味・解説 

山田忠次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/12 00:49 UTC 版)

山田 忠次(やまだ ちゅうじ、1890年明治23年〉7月8日[1] - 1986年昭和61年〉3月22日[2])は、日本逓信官僚朝鮮総督府官僚。

経歴

山形県出身。1917年大正6年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格[3]。逓信局書記、同属、通信事務官補、秋田郵便局長福島郵便局長、朝鮮総督府逓信事務官、京城貯金管理所長、通信事務官、京都郵便局長、逓信局事務官、広島逓信局規画課長、大阪逓信局規画課長、同用品課長、逓信書記官、郵務局規画課長、経理局需品課長、大臣官房保健課長、同秘書課長を経て、1936年(昭和11年)に仙台逓信局長に就任した[3]。同年7月、朝鮮総督府逓信局長に移り、高等海員審判所長を兼ねた[3]

1941年(昭和16年)に退官した後は、朝鮮住宅営団理事長を務めた[3]

脚注

  1. ^ 大衆人事録 1943.
  2. ^ 『逓信協会雑誌 5月』77頁。
  3. ^ a b c d 人事興信録 1941.

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編 『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 人事興信所編 『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。 
  • 『逓信協会雑誌 5月』逓信協会、1986年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「山田忠次」の関連用語

山田忠次のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



山田忠次のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの山田忠次 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS