山本治人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/11 13:24 UTC 版)
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基本情報 | ||||
生誕 | 1965年11月13日(59歳) | |||
国籍 | ![]() |
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出身地 | 静岡県 |
山本 治人(やまもと はるひと、1965年11月13日 - )は、静岡県出身のプロゴルファー。
来歴
1986年のブリヂストン阿蘇オープンでは3日目に67をマークして2日目40位タイから一気に15位に浮上し[1]、最終日には丸山智弘・古木譲二・海老原清治・甲斐俊光、デビッド・イシイ(アメリカ)と並んでの6位タイ[2]に入った。
プロ入り3年目の1987年には関東プロに出場した後、NST新潟オープンの予選会に出る予定であったが、急遽、広島オープンの出場が決定[3]。開幕前日に広島入りしてのぶっつけ本番で[3]、初日は林に2回、池にも一度入れるなど荒れ気味のショット[3]ながら、自己新の66をマークし[3]、金井清一と共に首位の磯村芳幸と1打差2位タイでスタートした[4]。前年の獲得賞金137万円をこれまでの遠征費で使い果たし[3]、次回からの遠征費を出すため[3]の戦いとなったが、2日目には芹澤信雄・横井ジョウジと並んでの9位タイ[5]に着けた。
1990年の茨城オープンでは初日を中山徹と共に68をマークして2位タイ[6]でスタートし、最終日には69をマークして浜野治光・高橋勝成に次ぐ3位[7]に入った。
1991年のジーン・サラゼン ジュンクラシックでは初見充宣・佐藤英之・金子柱憲と並んでの6位タイ[8]に入った。
1993年のポカリスエットオープンでは3日目に66をマークして2日目52位タイ[9]から一気にキー・フラ・ハン(ミャンマー)、尾崎健夫・合田洋・長谷川勝治・丸山智弘と並んでの7位タイ[10]に浮上し、最終日には丸山と共に堀内工と並んでの4位タイ[11]に入った。
2005年のANAオープン[12]を最後にレギュラーツアーから引退。
脚注
- ^ “山本 治人選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR”. www.jgto.org. 2025年6月9日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード ブリヂストン阿蘇オープン 1986 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2025年6月9日閲覧。
- ^ a b c d e f 朝日新聞縮刷版p417 昭和62年7月10日朝刊21面 ハーフタイム
- ^ 朝日新聞縮刷版p416 昭和62年7月10日朝刊20面「磯村がトップ 1打差で2人 広島オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p464 昭和62年7月11日朝刊24面「磯村、首位守る 広島オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p895 平成2年7月18日朝刊23面
- ^ 朝日新聞縮刷版p941 平成2年7月19日朝刊23面
- ^ “フルリーダーボード ジーン・サラゼンジュンクラシック 1991 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2025年6月9日閲覧。
- ^ “山本 治人選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR”. www.jgto.org. 2025年6月9日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード ポカリスエットオープン 1993 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR”. www.jgto.org. 2025年6月9日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード ポカリスエットオープン 1993 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2025年6月9日閲覧。
- ^ “山本 治人選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR”. www.jgto.org. 2025年6月9日閲覧。
外部リンク
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