山口直勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/04 01:49 UTC 版)
|
|
---|---|
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 天明2年(1782年) |
死没 | 文政8年(1825年)9月 |
別名 | 勝次郎 |
官位 | 従五位下相模守 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川家斉 |
氏族 | 山口氏 |
父母 | 父:山口直清、母:山口直承娘・嘉智子 |
妻 | 沢木氏、蒔田広朝娘 |
子 | 直信、伊達宗城、伊達宗孝 |
山口 直勝(やまぐち なおかつ)は、江戸時代後期の旗本。石高は3000石。官位は従五位下相模守。
略歴
山口直清の子として誕生。母は山口直承娘・嘉智子。
寛政10年(1798年)5月4日、17歳で父の遺跡を継ぐ[1]。文化10年(1813年)6月より火災巡視を務め、文化13年(1816年)12月には中奥小姓となる。文政2年(1819年)12月に従五位下相模守に叙任される。文政8年(1825年)9月に死去[2]。
宇和島藩主伊達宗城、伊予吉田藩主伊達宗孝の父として有名であるが、その他の実績等は文献に乏しい。
『鶴鳴余韻』(伊達家家記編輯所編纂の宇和島藩主の伝記)によれば、画家・渡辺崋山の門人であったという[2]。
系譜
脚注
固有名詞の分類
- 山口直勝のページへのリンク