尚詮とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 尚詮の意味・解説 

尚詮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/20 05:26 UTC 版)

尚 詮(しょう せん、1926年12月23日 - 1990年8月31日)は、昭和の実業家。琉球王国19代尚泰王の四男・尚順の六男。妻は尚弘子

生涯

1926年12月23日、尚泰王の四男・尚順の六男として沖縄県那覇市に生まれたが[1]、その2日後に大正天皇が崩御し元号が昭和に変わる。父や兄の殆どは太平洋戦争による沖縄戦で亡くなるが、当時、宇都宮大学農学部に通っていた詮は戦火を逃れた。1948年同大を卒業後帰沖し、同じく戦火を逃れ尚家の家督を継いでいた兄・誠より松山御殿の財産管理を任される。その傍らで父の死去後途絶えていた桃原農園の復興に着手、後に合資会社として法人化した。1952年にはハワイ東南アジアを回って様々な種類の苗を持ち帰り、桃原農園での植栽、研究を行った。この時持ち帰った苗の中にマカダミアナッツがあり、当時、桃原農園が所有していた伊豆見農園にてこの栽培を日本で初めて成功させたとされている。

琉球新報取締役、沖縄県中小企業団体中央会長、沖縄県林政審議会会長も務めた。1977年・1983年に郵政大臣表彰、1982年に沖縄県知事表彰と建設大臣表彰、1984年に黄綬褒章を受けた[1]。1990年8月31日に63歳で死去。

脚注

  1. ^ a b 20世紀日本人名事典



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「尚詮」の関連用語

尚詮のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



尚詮のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの尚詮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS