小長谷睦治とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小長谷睦治の意味・解説 

小長谷睦治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/18 21:38 UTC 版)

小長谷 睦治(こながや むつはる、1914年[1]6月30日[要出典] - 1988年[1] 4月3日[要出典])は、大日本帝国海軍軍人で、のちに日本実業家となる。

広島県江田島町(現江田島市)に生まれる。1936年に海軍機関学校を卒業し、翌1937年海軍機関少尉に任官した。空母加賀大村海軍航空隊横須賀海軍航空隊での勤務の後、海軍機関学校教官、第三航空艦隊参謀などを歴任した。

1945年8月の終戦後、海軍少佐として厚木連絡委員会委員を命じられ、マニラのダグラス・マッカーサー連合国最高司令官の下に派遣される降伏軍使の搭乗する緑十字機の準備など、終戦処理に従事した[2]

1946年の海軍解体により、千葉県銚子市で水産加工業、水飴澱粉製造、肥料製造などを手がけた。1988年、胆嚢癌で死去。

著書

脚注

  1. ^ a b 小長谷, 睦治, 1914-1988”. Web NDL Authorities. NDL. 2023年7月22日閲覧。
  2. ^ 小長谷睦治 (1989), p. [要ページ番号].

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  小長谷睦治のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小長谷睦治」の関連用語

小長谷睦治のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小長谷睦治のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小長谷睦治 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS