小野維幹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/25 07:13 UTC 版)
小野 維幹(おの の これもと、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。大宰大弐・小野葛絃の子。官職は右衛門権佐。
経歴
朱雀朝の承平年間に左衛門少尉を務めた。関東で平将門の乱が発生すると、天慶3年(940年)正月に東海東山山陽道等追捕使以下十五人が定められ、東海道使は藤原忠舒が、東山道使は維幹が任じられる。維幹は征東大将軍・藤原忠文に従って関東に下るが、到着する前に平将門は平貞盛・藤原秀郷らに討たれた。
官歴
- 承平5年(935年) 9月1日:見左衛門少尉[1]
- 時期不詳:従五位下
- 天慶3年(940年) 正月1日:東山道追捕使[2]
- 天暦2年(948年) 2月5日:見甲斐守[2]
- 天暦年間:見右衛門権佐[3]
脚注
参考文献
- 宮崎康充編『検非違使補任 別巻』続群書類従完成会、2006年
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