小玉治行とは? わかりやすく解説

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小玉治行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/13 05:52 UTC 版)

小玉 治行(こだま はるゆき、1900年明治33年)9月12日[1] - 1972年昭和47年)5月8日[2])は、大正末から昭和期の裁判官弁護士政治家衆議院議員

経歴

大分県[2]大野郡犬飼村石井(犬飼町石井を経て現豊後大野市)で小玉土五郎の二男として生まれる[3]。小学校卒業後、家業を手伝い講義録で独学し、1921年(大正10年)専検に合格[3]。1922年(大正11年)中央大学法学科に入学して特待生となり、1924年(大正13年)首席で卒業して特別賞を受けた[2][3]

1924年、高等試験司法科試験に合格[3]。裁判所書記兼司法属を経て[2]、1925年(大正14年)司法官試補に任官し[2]、1926年(大正15年)長崎地方裁判所判事に発令された[3]。その後、飯塚、一の宮、盛岡、千葉で勤務し、東京控訴院判事、東京刑事司法裁判所部長を経て、1947年(昭和22年)大審院判事に就任[2][3]。ほどなく退官して弁護士を開業した[3]

1947年4月の第23回衆議院議員総選挙大分県第1区から日本自由党所属で出馬して落選[4]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙民主自由党公認で出馬して当選し[2][3][5]、衆議院議員に1期在任した[2]。この間、衆議院法務委員会委員、同地方行政委員会委員などを務めた[3]。その後、第25回第26回第28回総選挙に立候補したがいずれも落選した[6]

その他、自由民主党法律顧問、同党法律相談部長などを務めた[3]

脚注

  1. ^ 『大衆人事録 第19版 東京篇』318頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』242頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『大分県歴史人物事典』207-208頁。
  4. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』585頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』376頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』376-377頁。

参考文献

  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第19版 東京篇』帝国秘密探偵社、1956年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。



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