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小川順之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 03:07 UTC 版)

小川 順之助(おがわ じゅんのすけ、1883年明治16年)11月13日[1] - 1961年昭和36年)6月23日[要出典])は、関東庁官僚大連市長

経歴

東京府に郡会議員小川弥次郎の子として生まれる[1]1911年(明治44年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業[1]長野県庁内務部勤務、岩手県東磐井郡長、同下閉伊郡長、大阪府理事官を務めた[1]1919年大正8年)、関東都督府参事官事務官に転じ、関東庁参事官・事務官、長官官房文書課長、大連民政署長事務取扱、内務局地方課長、同殖産課長などを歴任し、勅任官の待遇を受けた[2]

1930年(昭和5年)に退官し、翌年に大連市長に就任した[2]。その後、関東州天津貿易斡旋所長、同北支貿易斡旋所長を経て、関東州薬工品株式会社社長を務めた[3]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e 大衆人事録 1930, p. オ(ヲ)之部 小 七.
  2. ^ a b 財界二千五百人集 満蒙及朝鮮篇 1934, p. 55.
  3. ^ 人事興信録 1943, p. オ(ヲ)之部 小 七(ヲ) オ七.

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 『財界二千五百人集 満蒙及朝鮮篇』財界二千五百人集編纂部、1934年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。 
公職
先代
田中千吉
大連市長
1931年 - 1935年
次代
丸茂藤平



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