寿命寺_(常陸大宮市)とは? わかりやすく解説

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寿命寺 (常陸大宮市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/30 02:18 UTC 版)

寿命寺
所在地 茨城県常陸大宮市野口3042-1
位置 北緯36度33分42.8秒 東経140度19分03.6秒 / 北緯36.561889度 東経140.317667度 / 36.561889; 140.317667座標: 北緯36度33分42.8秒 東経140度19分03.6秒 / 北緯36.561889度 東経140.317667度 / 36.561889; 140.317667
山号 信照山
院号 蓮台院
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 鎌倉時代前期
開基 入信(佐竹義繁
文化財 聖徳太子立像(常陸大宮市指定文化財)
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寿命寺(じゅみょうじ)は、茨城県常陸大宮市にある浄土真宗本願寺派寺院

前史

当寺の開基の入信は、俗名「佐竹義繁」といい、佐竹氏第4代当主であったが、武士として生きることに疑問を感じ、常陸国那珂郡穴沢村(現・茨城県東茨城郡城里町上阿野沢)に隠棲していた。ある夜、義繁は夢の中で法衣姿の人物より「親鸞聖人を訪ねて他力本願の教示を受けよ」と告げられた。義繁は親鸞のもとを訪れ、親鸞の法話を聴いて、これまでの悩みが解消され、親鸞に弟子入りし、「入信」を名乗ることになった[1][2]

歴史

その後、親鸞は度々入信のもとに訪れていた。ある夜、親鸞と入信は山中で「光る物」を発見した。近づくと土中から光を発していた。掘り起こすと、阿弥陀如来像が出土した。親鸞はこれを喜び、この阿弥陀如来像を本尊とする寺を創建した。これが当寺の起源である[1][2]

当寺は度々火災に遭っている。直近では2009年平成21年)に全焼している[2]

文化財

  • 聖徳太子立像(常陸大宮市指定文化財)[3]

交通アクセス

  • 路線バス御前山支所入口停留所より徒歩9分。

脚注

  1. ^ a b プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、264p
  2. ^ a b c 寿命寺真宗教団連合「親鸞聖人を訪ねて」
  3. ^ 常陸大宮市文化財マップ常陸大宮市

参考文献

  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年



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