寺門の名の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 05:53 UTC 版)
妙法蓮華経の教義を重んじる天台大師の仏教は、伝教大師最澄(767年~822年)が日本へ伝えた。これが日本天台宗である。この教えは、第3代天台座主円仁と第5代天台座主円珍の2人の巨人の登場により、日本天台宗本山の比叡山延暦寺で2つに分かれてしまう。比叡山は円仁派が占め、円珍派は山を去り三井寺へ入った。これ以来、山へ残った円仁派を山門派、三井寺へ入った円珍派を寺門派と呼ぶ。 昭和16年(1941年)には宗教団体法に則り山門派、寺門派、真盛派の天台宗三派は合同したが、昭和20年(1945年)に宗教団体法が廃止されると、翌年には再び分離し、寺門派は天台寺門宗として独立した。
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