寺尾城 (川崎市)とは? わかりやすく解説

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寺尾城 (川崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/29 13:41 UTC 版)

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寺尾城
神奈川県
別名 菅寺尾城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 寺尾若狭守か
築城年 不明
主な城主 寺尾氏→諏訪氏
廃城年 不明
遺構 空堀、土塁
指定文化財 なし
登録文化財 なし
位置 北緯35度37分27.8秒 東経139度32分16.7秒 / 北緯35.624389度 東経139.537972度 / 35.624389; 139.537972座標: 北緯35度37分27.8秒 東経139度32分16.7秒 / 北緯35.624389度 東経139.537972度 / 35.624389; 139.537972
地図
菅寺尾城
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寺尾城(てらおじょう)または菅寺尾城(すげてらおじょう)は、神奈川県川崎市多摩区菅馬場2丁目30付近にあった日本の城山城)。

概要

多摩区菅馬場2丁目30付近、現在「菅馬場谷森林保存地区」となっている、北の多摩川沖積地に突き出す舌状台地末端部に遺構を残している。

城主は寺尾若狭守と伝えられ、後北条氏に仕えて以降、諏訪氏を名乗ったと言う。

資料に乏しく築造年代や寺尾氏についても不明な点が多いが、立地的な検討から同じ川崎市内の小沢城枡形山城を結ぶ「伝えの城」ではないかと推論されている[1]遺構として空堀が残存する。

名称について

寺尾城と呼称されているが、南東の横浜市鶴見区馬場3丁目には同じく諏訪氏が城主を務めたという「寺尾城」が存在し、混同を避けるため「菅寺尾城(すげてらおじょう)」と読み分けられることがある。なお、大類伸監修『日本城郭全集』第4集では、本項の城を「寺尾城」、鶴見区所在の城を「馬場城」として掲載している。

脚注

  1. ^ 大類伸監修1967『日本城郭全集』第4集 p154-p155 人物往来社



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