富塚古墳 (横浜市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 富塚古墳 (横浜市)の意味・解説 

富塚古墳 (横浜市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/09 13:43 UTC 版)

富塚古墳
「冨塚之碑」と背後の墳丘
所在地 〒244-0003
神奈川県横浜市戸塚区戸塚町
位置 北緯35度23分38.9秒 東経139度31分41.8秒 / 北緯35.394139度 東経139.528278度 / 35.394139; 139.528278座標: 北緯35度23分38.9秒 東経139度31分41.8秒 / 北緯35.394139度 東経139.528278度 / 35.394139; 139.528278
形状 前方後円墳
規模 全長32m、後円部径24m、後円部高4m、前方部前端幅8m、前方部高1.5m[1]
埋葬施設 未調査により不明
出土品 なし
築造時期 5世紀代か
被葬者 不明(伝・冨属彦命)
埋蔵文化財
包蔵地番号
県:戸塚区No.129
市:戸塚区No.104
特記事項 帆立貝形を呈する前方後円墳
地図
富塚古墳
テンプレートを表示

富塚古墳(とみつかこふん)は、神奈川県横浜市戸塚区戸塚町内に所在する古墳相武国造2世孫の「冨属彦命」(とつぎひこのみこと)の墓陵とする伝承があり、戸塚の地名の由来となった古墳である[1][2]

概要

JR戸塚駅の南西900m、横浜市南部の境川支流・柏尾川左岸の沖積地に面した丘陵上に所在する。この丘陵は富塚八幡宮の裏山にあたり、緑地保全地区となっている。古墳の被葬者は不明であるが、富塚八幡宮の祭神の一柱であり、相武国造2世の孫と伝えられる冨属彦命の墓との伝承が同社に伝えられている。墳丘の前には「冨塚之碑」が立てられている。

形状

発掘調査などの考古学的調査はほとんど行われていなかったが、南東方向に張り出しがあることから、前方後円墳であろうとされていた。2010年平成22年)に横浜市埋蔵文化財センターにより墳丘の測量調査が行われ、墳丘平面形の正確なデータが得られた。その結果、南東側の張り出しは通常の前方後円墳の前方部に比べて小さく(帆立貝形古墳の規格とも異なる)、東京都狛江市の狛江亀塚古墳や、横浜市港北区綱島古墳に類似することから、同センターは、古墳の築造年代を綱島古墳などと同じ5世紀後半代とする見解を示している[1]

脚注

  1. ^ a b c 埋蔵文化財センター 2011, p. 3.
  2. ^ 「富塚」の表記については異体字「冨」が使われることもある。

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「富塚古墳 (横浜市)」の関連用語

富塚古墳 (横浜市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



富塚古墳 (横浜市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの富塚古墳 (横浜市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS