安正寺 (安城市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 14:08 UTC 版)
安正寺 | |
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所在地 | 愛知県安城市藤井町本郷3 |
位置 | 北緯34度53分34.9秒 東経137度05分1.9秒 / 北緯34.893028度 東経137.083861度座標: 北緯34度53分34.9秒 東経137度05分1.9秒 / 北緯34.893028度 東経137.083861度 |
山号 | 藤井山 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 1683年 |
法人番号 | 7180305004382 |
安正寺(あんしょうじ)は、愛知県安城市藤井町本郷3にある真宗大谷派の寺院。山号は藤井山。本尊は阿弥陀如来。天和3年(1683年)創建。
歴史
近世
遠江国出身の松平圓平綱親は、本證寺の空誓に従って僧の正因となった[1]。天文年間(1532年~1555年)、正因は空誓の命で荒廃していた長圓寺に入って再興した。正因は元亀2年(1571年)に死去した[2]。正因の子の圓蔵は天正元年(1573年)に遠江国を訪れ、元和9年(1623年)に東大谷観音平の草庵で死去した[2]。その後、この草庵は遠州横須賀城下に移されて庭松山長圓寺と称した[2]。
以上のことから、藤井に残る寺は安正寺と称するに至った[2]。安正寺に改められたのは天和3年(1683年)とされ[3]、貞享元年(1684年)には本尊として阿弥陀如来木像を下付された[1]。寺名の一字は正因に因んでいる[1]。天和3年(1683年)には親鸞上人画像を、元禄11年(1698年)には蓮如上人画像を、享保2年(1717年)には聖徳太子・七高僧像を、本山から下付された[2]。
宝暦9年(1759年)には喚鐘を鋳造し、宝暦10年(1760年)には幡豆郡吉良荘平坂村の太田甚兵衛によって梵鐘が鋳造された[2][4]。安永8年(1779年)に本堂が建てられ[3]、天保4年(1833年)には山門が建てられた[1]。安政元年(1854年)には安正寺の圓城が寺子屋を始め、1873年(明治6年)までに約60人が読書や習字を学んだ[5][6]。
近現代
1888年(明治21年)には喚鐘を改鋳した[2]。
1945年(昭和20年)1月13日に発生した三河地震において、117戸の藤井集落ではほとんどの家屋が倒壊し、人口611人のうち77人が死去した[7]。1977年(昭和52年)11月には安正寺の北側に三河地震追憶之碑が建立された[7]。
2024年(令和6年)4月6日にはまちおこしイベント「安正寺 参ってら」を開催した[3]。
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山門
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鐘楼
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梵鐘
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手水舎
所在地
- 所在地
- アクセス
脚注
参考文献
- 『桜井村史』桜井村役場、1943年
- 西尾市史編集委員会『西尾市史 6 年表』西尾市、1983年
- 『安城の寺院建築』安城市教育委員会、2016年
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 安正寺 (@anshouji_1683) - X(旧Twitter)
- 安正寺 (みんなのお寺) (@anshouji_1683) - Instagram
- みんなのお寺 安正寺 - YouTubeチャンネル
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