宇漢迷公宇屈波宇逃還事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 23:59 UTC 版)
「日本の古代東北経営」の記事における「宇漢迷公宇屈波宇逃還事件」の解説
神護景雲4年8月10日(770年9月3日)、奥地の出身と思われる蝦夷族長宇漢迷公宇屈波宇が突然徒族を率いて本拠地に逃げ帰った。陸奥国は使者を送って帰参を促したが、宇屈波宇は憤激して応じず「1、2の同族を率いて城柵を襲撃する」と揚言した(宇漢迷公宇屈波宇逃還事件)。陸奥国から報告を受けた中央政府は道嶋嶋足を派遣して事実関係の調査をおこなっている。
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