宇喜多氏の美作侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 21:43 UTC 版)
「大山 (岡山県)」の記事における「宇喜多氏の美作侵攻」の解説
天正7年(1579年)の兵火によって、ことごとく大山は燃やされた。この時、本尊である観音菩薩や不動明王像は難を逃れた。しかし、多くの古書や古器の類は堂もろとも灰になったといわれる。法印隆永は、尾谷に逃れ、現在尾谷にある顕密寺の祖となった。
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