娘臂城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 03:03 UTC 版)
娘臂城(ナンビソン)(낭비성)は、629年(新羅真平王51年、高句麗栄留王12年)秋8月に、新羅の大将軍金龍春(朝鮮語版)と金舒玄(朝鮮語版)、副将軍金庾信が占領した高句麗の城である。娘臂城の位置は7世紀前半の高句麗と新羅の領域と境界を反映したものとして注目を集めてきた。 『新増東国輿地勝覧』は、現在の清州市にあった娘子谷城(ナンジャコクソン)(낭자곡성)にこれを比定しているが、当時は清州より北側の漢江流域は新羅の領域であ理、もし清州が高句麗の領土だったなら、本国と切り離されて完全に孤立していたことになるという問題が提起されてきた。このため娘臂城を漢江の北側に比定する見解も提示されてきており、金正浩は『大東地誌』において、娘臂城を七重城に比定した。実際に「ナンビ」という名称は、「ナンジャコク」よりも、七重の高句麗における名称である「ナヌンビョル」(難隠別、난은별)の方に近い。
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