太陽館 (名古屋市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/20 14:31 UTC 版)
太陽館 |
|
---|---|
![]()
1956年の大須東宝(太陽館)
|
|
情報 | |
旧名称 | グランド劇場、ムービー太陽、大須東宝 |
開館 | 1912年7月5日 |
閉館 | 1985年3月29日 |
客席数 | 400席 |
用途 | 映画上映 |
所在地 | 愛知県名古屋市中区大須2-16-26 |
太陽館(たいようかん)は、愛知県名古屋市中区大須2-16-26にあった映画館。
歴史
戦前の歴史

1912年(明治45年)7月5日、名古屋市大須の浪越公園跡地に太陽館が開館した[1]。文明館と電気館に次いで、大須で3番目の活動写真館であり[2]、活動弁士が活躍するサイレント映画の上映館だった[3]。総敷地は185坪であり、900人を収容する劇場だった[1]。
1920年(大正9年)11月には古川為三郎によって買収され、1921年(大正10年)1月5日に新装開館した[4]。1923年(大正12年)にはマキノ映画の上映が主体となった[2]。古川為三郎は太陽館のほかに、大須に帝国館、帝国座、大勝館などを開館させている[5]。
戦後の歴史
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)、空襲で建物が焼失した[3]。1946年(昭和21年)12月に再建されると[3]、1947年(昭和22年)元旦には大須グランド劇場として開館し、その後にはムービー太陽に改称した[6]。1950年(昭和25年)の映画館名簿には経営者として古川商会と中野重邦が併記されているが、1953年(昭和28年)までには中野重郎が単独の経営者となった。1955年(昭和30年)9月には大須東宝に改称し、その後元の太陽館に改称した[6]。
1978年(昭和53年)頃には成人映画館となったが、1984年(昭和59年)12月に一般向け映画館に戻った[7]。1985年(昭和60年)3月29日をもって閉館した[7]。閉館時の経営者は中野重郎である[8]。太陽館の閉館によって、大須の映画館は大須名画座のみとなった。
跡地はまずヘラルドフーズの喫茶店となり、その後シャポーブラン大須本店となった[9]。2021年(令和3年)には跡地にドラッグストアのV・drug大須店が開店した。
脚注
- ^ a b 柴田勝『中京名古屋映画興行の変遷』柴田勝、1974年、p.20
- ^ a b 伊藤紫英『シネマよるひる 改稿名古屋映画史』伊藤紫英、1984年、pp.123-125
- ^ a b c 「明治45年にオープン 大須の太陽館 長い歴史ついにEND」『中日新聞』1985年4月3日
- ^ 『追想 古川爲三郎』古川爲三郎追想集発行委員会、1994年、pp.36-41
- ^ 『写真アルバム 名古屋の昭和』樹林舎、2015年、p.154
- ^ a b 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会『大須レトロ』樹林舎、2010年、p.134
- ^ a b 「最古の映画館、消える 明治生まれ『太陽館』 興行主古川さん 地位築いた出発点」『中部読売新聞』1985年4月4日
- ^ 『映画館名簿 1985年版』時事映画通信社、1985年、p.77
- ^ 沢井鈴一『名古屋大須ものがたり』堀川文化を伝える会、2010年、p.45
座標: 北緯35度09分33.8秒 東経136度54分4.6秒 / 北緯35.159389度 東経136.901278度
- 太陽館_(名古屋市)のページへのリンク