大舞台での失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:24 UTC 版)
1994年のリレハンメルオリンピックでは一転して優勝候補として注目されたことが、本人にとってプレッシャーとなる。当大会のジャンプ団体戦で日本は2位ドイツを55点差で大きくリードし、第4グループのジャンプ2本目を残すのみとなった。原田の直前に飛んだドイツのエース、イェンス・バイスフロクが135.5mの大ジャンプをマークするが、それでも105m以上飛べば日本の優勝が決まるはずであった(ジャンプ台のK点は120m)。 しかしこれが大きな重圧になったのか、ラストジャンパーとしてジャンプ台に立った時から普段の自分とは違う感覚に襲われて97.5mの失敗ジャンプに終わり、日本はドイツに抜かれ銀メダルに終わった。 着地直後、頭を抱えてうずくまる原田のもとにチームメイトの葛西紀明、西方仁也、岡部孝信が駆けつけ、「銀メダルなんだから胸を張りましょうよ」と励まされた。なお、原田はこの大会、個人ノーマルヒル2回目に54.5m、個人ラージヒル2回目も101.0mという失敗ジャンプでそれぞれ順位を落としている。
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