大竹謙治
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大竹 謙治(おおたけ けんじ、1878年〈明治11年〉11月12日[1] - 1956年〈昭和31年〉12月16日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
新潟県[2]頚城郡、のちの中頸城郡大瀁村(頸城村を経て現上越市)出身[3]。東京高等商業学校で学ぶ。中頸城郡議、同参事会員、頸城鉄道、頸城倉庫各(株)社長、(財)高田病院理事長となる。
1924年(大正13年)第15回衆議院議員総選挙において新潟12区から立憲政友会公認で立候補して当選した[4]。1928年(昭和3年)第16回衆議院議員総選挙において新潟4区から立候補したが次点で落選した[5]。1956年に死去した。
脚注
参考文献
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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