大石廉とは? わかりやすく解説

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大石廉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/28 15:42 UTC 版)

大石 廉(おおいし すなお、1852年嘉永5年9月[1][2])- 1910年明治43年)7月26日[1][2][3])は、明治期の農業経営者、政治家衆議院議員岡山県磐梨郡可真村長。

経歴

備前国磐梨郡弥上村[3]岡山県[1]磐梨郡可真村赤磐郡可真村[2]熊山町を経て現赤磐市弥上)で、誠太の二男として生れた[3]。漢学、仏式兵学を修めた[1][2]岡山藩第3兵団予備隊機械弾薬掛[2]、同藩第3大隊2番小隊半隊長心得[1][2]、同第3大隊長を務めた[3]。その後、里正に就任[1][2][3]

1877年(明治10年)第3区務所戸長に就任[3]。以後、磐梨郡書記[1][2][3]、同郡第7部戸長[3]を務めた。1889年(明治22年)初代可真村長に就任し[1][2][3]1895年(明治28年)まで在任した[3]。1892年(明治25年)岡山県会議員に当選[1][2][3]。その他、赤磐郡会議員、同議長にも在任した[1][2]

1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(岡山県第2区、自由党)で当選し[3][4]、衆議院議員に1期在任した[1][2]。1898年(明治31年)3月の第5回総選挙(岡山県第2区、自由党)では次点で落選し[3][4]、政界を引退した[3]

その後、郷里で果樹園芸、植林を行い、備作果物組合、可真信用組合の設立に参画し、赤磐郡教育会長を1902年(明治35年)から死去するまで務めた[3]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』120頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』90頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『岡山県歴史人物事典』182頁。
  4. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』103頁。

参考文献

  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。



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