大沢基暢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/19 16:33 UTC 版)
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| 時代 | 江戸時代後期 | 
| 生誕 | 文政6年(1823年)? | 
| 死没 | 文久2年(1862年) | 
| 別名 | 通称:乙次郎 | 
| 官位 | 従五位下・侍従、右京大夫 | 
| 幕府 | 江戸幕府 高家旗本 | 
| 主君 | 徳川家斉→家慶 | 
| 氏族 | 持明院家庶流大沢氏 | 
| 父母 | 父:大沢基昭 | 
| 兄弟 | 男子、基暢ら | 
| 子 | 基寿 | 
大沢 基暢(おおさわ もとのぶ)は、江戸時代後期の高家旗本。通称は乙次郎。官位は従五位下・侍従、右京大夫。
略歴
高家旗本・大沢基昭の子として誕生した。
文政8年12月(1826年)、父・基昭は基暢の丈夫届を幕府に提出する。基暢は当時3歳であったという。なお、父・基昭の長男は早世(文政2年(1819年)没)しており、基暢は次男以下の男子であったと考えられる。
天保9年(1839年)、12代将軍・徳川家慶に御目見する。嘉永6年(1853年)1月27日、高家見習に召しだされる。同年2月5日、従五位下・侍従・民部大輔に叙任する。同年10月2日、高家職に就任する。同年12月26日、父・基昭の死去により家督を相続する。
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