多湖家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:35 UTC 版)
員弁郡笠田城主。2つの城を保有していて笠田村、隣村7ケ村を北畠顕家より可領されて1338年(暦応元年)に多湖大蔵助が当主となった。敏達天皇が大太祖で、楠左近太夫正弦が太祖、楠多門兵衛尉中将正成(大楠公)が祖である。大楠公のひ孫時代に多湖に改名して多湖刑武太夫正吉と多湖大内蔵太夫正家が石山合戦にて討死した。1571年(元亀2年)に多湖大内蔵太輔橘實元が豊臣秀吉の命令により小田原征伐に従軍して1590年(天正18年)41歳で戦死した。現在、楠左近太夫正弦より27代目の多湖實之が当主である。
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