増東軌道
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閖上町#交通、名取市#過去の路線
および本記事の#駅一覧も参照
注釈
- ^ 17世紀までは「淘上」「淘揚」などと表記した。
- ^ 明治末に伝わったとする説もある。
- ^ これらはまもなく合併して共同販売所となり、後に閖上漁業協同組合となった。
- ^ 江戸時代、増田村は増田宿の増田代官所、閖上浜は長町宿の長町代官所の管轄。
- ^ 発起人のうち増田は25人、閖上は16人
- ^ その後増資して225,000円になる。『宮城県史 5』700頁
- ^ 昭和10年の路線距離は8キロ所有車両1台 『全国乗合自動車業者名簿』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 昭和13年4月に軌道を撤去した『名取市史』716頁
- ^ 保線用モーターカーのような簡易な機関車を予定していた。湯口徹「シベリア出兵時の装甲軌道車と自動(車)鉄道」『トワイライトゾーンMANUAL』第15巻、ネコ・パブリッシング、2007年、p.94。
出典
- ^ a b c d 海辺の記憶 - 被災地をたどる / 第2部=名取・閖上(上)城下発展、水運で支える(河北新報 2012年12月19日)
- ^ a b 運河の歴史(貞山運河編集委員会「貞山運河事典」)
- ^ 32.閖上の笹かまぼこ(名取市「なとり100選」)
- ^ a b 番号197 『御領分絵図』(年代不明)(宮城県図書館)
- ^ a b 番号200 『御領分絵図』(慶応元年(1865年))(宮城県図書館)
- ^ a b 番号204 『仙台領分図』(寛文10年(1670年) - 延宝6年(1678年))(宮城県図書館)
- ^ a b 1900年および1962年宮城県北部地震の被害データと震度分布 (PDF) (静岡大学)
- ^ 会社概要(名取まちづくり株式会社)
- ^ a b c 塩竈市魚市場50年の歩み「第一編 魚市場前史」(塩竈市)
- ^ a b 海辺の記憶 - 被災地をたどる / 第2部=名取・閖上(下)底引き網漁、盛衰左右(河北新報 2012年12月20日)
- ^ a b c まちなみ形成ガイドライン 閖上の自然環境・歴史・文化について (PDF) (名取市 第14回閖上復興まちづくり推進協議会)
- ^ a b c 『帝国鉄道年鑑』475頁
- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1924年3月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軌道運輸営業廃止」『官報』1939年11月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 岡本憲之『失われた狭い線路の記録集 究極のナローゲージ鉄道2』講談社、2015年、33頁
[続きの解説]
固有名詞の分類
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